オルガンの曲と言えば、それがバッハの作った(とされる)作品とは知らずとも思い浮かべるのはトッカータとフーガ 二短調ではなろうかと。冒頭のフレーズは極めて印象に残りやすいでしょうから。その♪タララ~という部分が要するに音楽用語でトッカータと言われる部分なわけですね。

 

で、その「トッカータ」とは何ぞ?ということで、改めて(コトバンクで意味を探ろうとすると余りに短い説明なので)Wikipediaに頼ってみますと、こうあるのですな。

トッカータ(伊: toccata)とは、主に鍵盤楽器による、速い走句(パッセージ)や細かな音形の変化などを伴った即興的な楽曲で、技巧的な表現が特徴。toccataは動詞toccare(触れる)に由来しており、オルガンやチェンバロの調子、調律を見るための試し弾きといった意味が由来である。

簡単に言えば(と、簡単にしすぎでしょうけれど)掴みの部分とでもいいますかね。ですので先のトッカータとフーガではありませんが、なかなかにキャッチ―なフレーズが使われていることにもなるわけで…と、やおら「何だってこの話?」ということでもあろうかと。実のところ、またしてもサントリーホールのオルガンプロムナードコンサートを聴いてきたのでして、今回のテーマが「有名なトッカータと編曲作品」だったのでありますよ。

 

「有名な」とありますので、それでは早速にかのトッカータとフーガ 二短調が演奏されたかといえば、さにあらず。一曲目に登場したのは「トッカータ、アダージョとフーガ」ハ長調BWV564だったのですけれど、これを聴いて「ああ、そうか」と思ったことが(全くもって今さらながら、なのですけれどね)。

 

先にも触れたようにトッカータは冒頭の掴みであって、その後にゆったりとアダージョの音楽が流れ、最後にフーガが来る。フーガのことは、前回の同コンサートを聴いてきた後に「ああだ、こうだ」しましたけれど、遁走曲とも言われるようにテンポは速めであって、つまりはこの曲、急-緩-急という3つ部分で成り立っているのですよね。バッハの時代には古典派のようにソナタ形式といった音楽形態が定まっていませんでしたから、テンポの異なる楽章というか、部分を連ねて大括りにひとつの曲を構成する際、いちいちそれぞれの曲の形を表す用語を連ねて、この曲は「トッカータ」の部分と「アダージョ」の部分と「フーガ」の部分とから成り立っていますよということをタイトルで表していたのでもありましょう。なんとも面倒なことに…。

 

ともあれ、そんな具合に出来上がっている(であろう)「トッカータ、アダージョとフーガ」ハ長調BWV564は、始まりがいかにもな試し弾き風。奏者がちと魔を開けつつ溜め気味に弾くと、本当に楽器の調子を見ているのかいね?と思ってしまうようでありましたよ。

 

という具合であったバッハの時代、即ちバロック期のトッカータですけれど、これが古典派の時代には、つかみの部分がお試し風でなくして「序奏」という形で一曲の中に組み込まれていきますと、「トッカータ」の出番は無くなってきてしまう。にもかかわらず、いずこにも古いものに回帰する風潮は巡ってくるもの。さりながら、本来の姿とは様相を異にして復活するというのもよくある話ではなろうかと。先に引いたWikipediaの続きはこんなふうに書かれているのですね。

即興的楽節と対位法的楽節の組み合わせといった本来のトッカータの性質は失われ、専ら動きの速い反復音形や同音連打といった常動的側面が強調されている。

まさに!と思えるのが、今回の演奏会締めくくりに演奏されたヴィドールのオルガン交響曲第5番から第5楽章「トッカータ」であったような。ヴィドールは1844年生まれですので古典派を過ぎてロマン派から近代という時代の作曲家ですので、Wikiの記載そのままに「反復音形」「常道的」でもって曲が進んでいくのは、分かりやすすぎるくらいなのですなあ。

 

ただ、この曲をyoutubeあたりにあるたくさんの音源で聴いた方が、より分かりやすかったのかも。オルガンという楽器はたくさんのストップやらがついていて同じ曲であっても奏者によって音色は千差万別になったりもするところで、まあ、個人的な相性の問題でもありましょうけれど、今回の奏者(ヨハネス・スクドリク、おそらく有名な奏者なのでしょう…)の作り出す音世界と馴染みがいささか宜しくなかったようですのでね。パイプオルガンの曲はどれを聴いてもおんなじ…てなふうに長らく思えていたりもしたですが、聴く機会が増えてきますと、それなりに何らか気付くこともあるものですなあ。